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【銀英伝】フェザーン自治領【歴史ネタ】

歴史ネタ編

「奇妙な国であった。正確には、国ですらない。それは銀河帝国皇帝の宗主権のもとで、内政の自治と交易の自由を認められた、特殊な地方行政単位であるにすぎない」(第3巻)

「フェザーンが介在することにより、本来、相手を対等の国家とさえ認めていない帝国と 同盟との間に三角貿易(*1)が成立する。(中略)このフェザーンは、地球出身の大商人レオポルド・ラープが帝国に働きかけて成立させたものである」(OVA12話)

中世ヨーロッパでは、皇帝や国王から自治権を認められた都市がたくさんあった。

とくにフェザーンと形式が似ているものを挙げるとすれば、神聖ローマ帝国で自治権を獲得した「帝国都市」ないしは「自由都市」であろう。

前者は皇帝への貢納や軍役の責務を負い、後者は完全な自治権を有していたというが、後に区別が曖昧になり、一般に類似した存在として扱われている。

これらは、あくまで皇帝の宗主権下で内政自治が許されている都市であったが、領邦国家と対等の地位を有した。

19世紀後半にプロイセンによってドイツ統一が行われるまで、フランクフルト(上画像)など4つの自由都市(*2)が中欧に存在していた。

ところで、フェザーンは情報操作を駆使して帝国と同盟を互いに争わせたりするなど、老獪な政治力で宇宙を翻弄するほどの存在である。人畜無害な平和の使徒ではない。

5代目自治領主であるアドリアン・ルビンスキーのように、徹底したプラグマテイズムで自国の利益の拡大をはかり、他者の犠牲をいとわないしたたかな姿勢をみると、むしろベネチアやジェノバといったイタリアの都市共和国の方を思い起こさせる。

これらの都市はエゴイズムの権化のような存在だった。

たとえば十字軍の遠征では、自らの船団で兵士や物資の輸送にあたり、特需をえた。

とくに13世紀の第4回十字軍遠征では、ベネチアは、地中海の交易権を独占するために、ライバル都市であったコンスタンティノープルの占領・略奪をするよう、十字軍を巧に使唆した。

その結果、このビザンチン帝国(*3)の都は、十字軍兵士とベネチア人によって徹底的に略奪され、勝手に領土が分割された。

「聖地回復」とは何の関係もない、ただの侵略行為だった。

こうして地中海での商圏を益々、拡大したイタリアの諸都市は、東方からもたらされる香辛料などの物産を取り扱い、莫大な富を手にしていった。

しまいには交易の独占をめぐって、ベネチアとジェノバが戦争すらする有り様であった。

戦争というのは、巨大な消費である。これは中立国にとっては、実にありがたい儲けのタネになる。『銀英伝』にはこんな記述がある。

「商業国家フェザーン自治領は活力に満ちている。戦争の惨禍を避けつつ、戦争による利 益はことごとく吸収しようとする、貧欲な経済の営みがおこなわれていた」(第2巻)

フェザーンは帝国と同盟との間にある唯一の交易ルート上にあり、中継貿易で空前の経済繁栄を謳歌している。

では、そもそもなぜ交易が莫大な富をもたらすのだろうか。

簡単なたとえ話をしよう。

「A国」からリンゴ1個を百円で輸入したとする。今度はそれを「B国」に1個2百円で売るのである。すると右から左に品物を流すだけで、自分では何も生産しなくても利益をえることができる。これが中継貿易の原理である。

かつて、紀元前後、ペルシア地方にパルチア(*4)という帝国が栄えた。

この国は西のローマ帝国と東の漢帝国との間に位置することで、東西交易を独占し、莫大な中継ぎ貿易の利益を得た。

東方からは絹織物や香料、西方からはガラスやぶどう酒、オリープなどが国内を通過し、それに付加価格を付けて、需要のある東西それぞれの地域にせっせと流していたのだ。

このように輸出入の貿易差額によって儲けることができる。

大航海時代以前は、中国やインド、東南アジアからの物産は、かならず地中海ルートをへてヨーロッパ世界に輸入された。だから地中海の商圏を押さえるため、ありとあらゆる国家や都市が海戦を行い、覇を争った。

イタリアで真っ先にルネサンスが興ったのも、貿易で富を蓄え、その富が様々な商工業の発展を促し、さらには文化までも引き寄せたからである。

銀河帝国と自由惑星同盟の間に位置するフェザーンが繁栄するのも道理である。

(*1) イギリスの御家芸である。17世紀、イギリス商船は、本国で生産された毛織物製品をアフリカ西海岸に持ち込み、黒人奴隷とバーター取引(物々交換)。そして積み荷を奴隷に換えて、アメリカに輸送。奴隷農場主に売却してその代金で砂糖や綿花を仕入れ、ヨーロッパで売りさ ばいた。また19世紀、イギリスの綿製品をインドに輸出してアへンを購入。それを中国に運んで売りさばき、茶・絹・陶磁器などを購入し、本国やヨーロッパで売りさばいた。この三角貿易でイギリスは莫大な富をえたが、インドに綿製品を押し売りするために、商売敵であったダッカ(現バングラディッシュ)の織物工の手を斬り落とし、清の人民をアへン浸けにした。「華麗なる英王室」は、さしずめ強盗極悪国家の親玉といったところだろう。

(*2) フランクフルトの他は、ハンブルク、プレーメン、リューベック

(*3)東ローマ帝国の別称。330年 にコンスタンティヌス帝がロー マからコンスタンティノポリス に遷都し、さらにテオドシウス帝が395年のその死に際して帝国東西を2子に分割したことから、国家として成立する。西ローマ滅亡後も、1453年にオスマン帝国に滅ぼされるまで続いた。

(*4)前247~後226年。イラン系遊牧民のアルサケスが建国。内陸の隊商路とペルシア湾の海上ルートを支配したため、交易で栄えた。東方に進出するロー マ帝国と激しく争った。

「銀英伝」には歴史が満ちている――気ままに歴史ネタ探求

歴史ネタ編目次 http://anime-gineiden.com/page-890

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