【銀英伝】地球教【後編 歴史ネタ】

さて、ヨーロッパは、ローマ・カトリック教会による民衆への教化がすすむにつれ、完全なキリスト教文明圏と化していった。
封建体制の中で教会と世俗権力の一体化もすすみ、農民や平民を搾取して財産を増やしていった。
教皇は絶大な権勢を誇った。なにしろ神であり救世主でもあるイエスの弟子ペテロ(*7)が初代教皇である。
いわば万物の創造主たる神の代理人という立場なのだ。
だから、教会から破門されることは「魂の死刑宣告」を受けることに等しく、人々はこれを恐れた。12世紀には、その権威は絶頂に達した(*8)。
だが、その内実は腐敗を極めていたという。
富と権力と精神面での絶対者という地位は、人間を限りなく堕落させる。
被支配者の民衆は宗教的恐怖心に抑圧される一方で、歴代の教皇たちは性的乱行や権力闘争、金儲けや殺人などにふけった。
教皇を頂点としたヒエラルキーの上部は、さながら悪徳と陰謀の巣窟と化し、常に暗殺と政略とが横行した。
やがて宗教的狂気は人類規模の犯罪にまで拡大していく。
11世紀末にはじまった十字軍遠征は、イスラム世界に対する破壊と略奪以外の何物でもなかった。異教徒の女性や子供が大量虐殺された。
そして侵略熱がおさまると、今度は内に対してその狂気が向けられた。
教皇から任命された異端審問官たちが、女性を片っ端から捕らえて拷問し(*9)、「魔女」 という自白をさせて処刑した。
この魔女狩りによる犠牲者は数百万人といわれる。
また14世紀にペストが流行した際には、ユダヤ人がスケープゴートにされ、各地でキリスト教徒によるユダヤ人への迫害・虐殺が相次いだ。
そしてヨーロッパが大航海時代をむかえると、今度は「新大陸」の住民が犠牲となる。
スペイン人によるインディオの虐殺と奴隷化は、キリスト教の名の下で行われた。
さらに奴隷貿易にも教皇は深く関わった。教皇庁直属の奴隷狩り船まであった。
他方、16世紀の宗教改革によってプロテスタントが誕生し、カトリックの絶対的な支配体制が揺らぎはじめる。
するとキリスト教徒たちは、今度は新旧の両派に別れて互いに殺し合うようになった。
やがて近代が到来し、理性が教条的な宗教の迷妄から人類を解き放っていくようになると、それにつれ、かつてヨーロッパ文明の支配者として君臨したローマ・カトリッ ク教会の権威も失墜し始めた。
フランス革命では一時キリスト教そのものが否定された。
その後、国民国家(*10)の台頭で教皇領はイタリア王国に接収されるが(1870年)、1929年にムッソリーニとラテラン条約を締結し「バチカン市国」として独立する。
歴史を本当に学んだことがある人なら、宗教的狂信が人類全体にもたらした惨禍を決して看過しえないはずだ。
ある意味、その張本人たる存在が、今なお細々とながらも存続しているのである。
外ならぬバチカン(ローマ・カトリック教会)だ。
欧米では、日本の「天皇タブー」の比ではない「キリスト教タブー」があり、社会的地位の高い人ほど、反キリスト教的なことは口にできない状況があるらしい。
そのタブーに守られて、聖職者たちが過去の栄光を懐かしみ、今なお人類全体の教化を目論んでいるとしたら・・・。
と、これは妄想だが、『銀英伝』に登場する地球教のモデルをあえて歴史に求めるとすれば、バチカン以外にありえないように思われる。
無論、両者は同一ではないし、この種の決めっけは第一、作者にとって迷惑千万であるに違いない。単にエンターテイメントを作る上で「ヒントのひとつになった」程度に過ぎないであろう。
だが、地球教の否定的な描かれ方の中に、歴史の先例に対する作者の憤怒と告発の念を感じざるをえないのも確かである。
(*7) 12人の弟子の筆頭。ローマ・カトリックの総本山サン・ピエ トロ寺院は、殉教したペテロの遺体の上に建てられたという。
(*8)教皇インノケンティウス3世はドイツのオットー4世、フランスのフィリップ2世、イギリスのジョン王などを次々と破門し、「教皇権は太陽で、皇帝権は月」と演説をぶった。
(*9)私はその拷問道具をじかに見たことがある。刺のたくさんついたイス、頭を締め上げる万力、人間を閉じ込めて外から槍で突つくための小さな艦など、人間性を冒涜するために最高の想像力が働かされた結果のごとき代物だった。
(*10) 「ネーション・ステイト」の訳語。歴史的に共通した文化や伝統、言語をもつ民族が中心となって形成された国家を意味すると共に、義務教育や兵役などの近代的制度によって「国民」が形成されている国家。国民主権と市民社会が成立していることを条件に含める考えもあり、定義が色々と難しい。
「銀英伝」には歴史が満ちている――気ままに歴史ネタ探求
最近のコメント