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【銀英伝】永遠のライバル――ラインハルトとヤン・ウェンリー【歴史ネタ】

歴史ネタ編

銀河帝国と自由惑星同盟との情性的な戦争が1世紀半も続き、双方が国家としての末期症状を呈しはじめた頃、歴史を大きく動かす2人の英雄が出現する。

一人は、腐敗しきったゴールデンバウム王朝を打倒し、大貴族たちが民衆を搾取して不当に特権を貪る社会を刷新することを目的とする、生まれながらの覇者ラインハルト

そしてもう一人が、心ならずも軍人になるが、その用兵家としての卓越した才能ゆえ大軍を動かす地位を強いられてしまう、歴史家志望者のヤン・ウェンリー

この2人が銀河を舞台にした英雄群像の渦の中心となる。

さて、単純に歴史上に登場したライバル関係だけを取り上げるとなると、

「第二次ポエニ戦争」におけるカルタゴのハンニバルとローマの大スキピオ

秦帝国崩壊後に覇を争った項羽と劉邦

三国時代における魏の曹操と蜀の劉備

カール12世とピョートル大帝

ナポレオンと英のウェリントン公(*1)ネルソン提督(*2)

などが挙げられると思う。

歴史は時として英雄同士が相打つ劇的なドラマを紡ぎ出すものだ。

さて、ラインハルトとヤン、両者とも変革の時代の申し子として登場するが、まずヤン・ウェンリーのような人物は過去の歴史には存在しないと思う(もっとも、そう言い切れるほど私は歴史に精通しているわけではないが)。

そもそも、軍隊や国民国家思想のアンチテーゼのような人物が軍人であるということ自体、創作の中のお話であろう。

無論、なればこそ『銀英伝』は独創的であり、傑出したエンターテイメントなのであり、仮にヤンがステレオタイプ的な軍人だったら物語の魅力も半減していたかもしれない。

一応、ヤンのモデルは「孔明」(*3)という話が巷間で囁かれている。

たしかに両者とも、卓越した知性と戦略思考の持ち主であり、また性格も穏健で、猪突猛進型の軍人とは正反対という点において、実によく似ていると思う。

諸葛亮は天下全体を鳥瞰できる広い視野を有し、またヤンも国家の枠に捕らわれず人類全体を時空を超越した普遍的価値観によって判断できる視野と能力を持つ。

ヤンの思考力の奥行とスケールに並ぶ者を挙げるとすれば、たしかに諸葛亮をおいて他にはいないかもしれない。

さて、一方のラインハルトの場合だが、これは前述の通りはっきりしている。

作者の田中氏自身が、そのモデルについて「アレキサンダー大王とか、ナポレオンとか、スウェーデンのカール12世とか・・」(「銀河英雄伝説」読本)とおっしゃっているのだ。

これは氏のインタビュー文からの引用だが、前後の内容から察する限り、どうやら田中氏が創造されたキャラクターの原像に、肉付けされる形で、これらの歴史上の英雄の資質・業績が付加されたらしい。

この「3人の英雄」の生涯については、別途「エッセイ」を参照していただくとして、とりあえずラインハルトと類似している面を取り上げてみよう。

まずアレクサンドロス大王の場合だが、おそらく「戦いにつぐ戦いの生涯で急逝した」という点と、「史上初めて東西の二大世界を統合した」という点が似ている。

次にナポレオンだが、そもそも私が『銀英伝』を見て最初に関いたのがナポレオンであった。政戦両略の天才が、若くて有能な将星をたくさん従えて戦争を繰り返す。諸将はみな叩き上げ、成り上がりの実力者(ナポレオンもそうだった)。

そして、戦術といえば兵力の集中、中央突破、各個撃破。

これはナポレオンがイタリア戦役で編み出したといわれる戦法じゃないか! そういえばナポレオンも死んだ後で「伝説」になったよなあ・・・と思ったのである。

おそらく「貧乏貴族の出身でありながら、尉官から武勲を重ねて昇進し、最後には皇帝にまでなりおおせた」という点と、「軍事と政治の両方に関して天才ぶりを発揮する」という点が、ラインンハルトの人物像に重なるのではないかと思う。

最後はカール12世である。

まず、ラインハルトと似ているのは、何といってもその「若さ」だろう。

カール12世は若干、18歳で祖国の軍勢の司令官となり、戦場を駆け巡る毎日を送った。また、カール12世の人となり(=勇気と正義感に富むが、頑固で妥協を知らない)がラインハルトの性格を思わせる。

以上、大ざっばにまとめてしまったが、業績・生涯・性格において、「アレクサンドロス大王」と「ナポレオン」と「カール12世」の面影がたしかにうかがえる。

いずれにせよ、この3人の英雄に共通するのは、生涯戦い抜いたということであり、それはまさにラインハルトの人生そのものでもあるだろう。

(*1) 1769~1852年。イギリスの軍人・政治家。インドのマラータ戦争で戦果を上げた後、対仏戦争に参加。1814年に対仏同盟軍の総司令官としてパリに入城した。この功により公爵号を授与される。15年、エルバ島を脱出したナポレオンをワーテルローの戦いで破った。1828~30年にはイギリス首相 も務めている。

(*2) 1758~1805年。イギリス海軍提督。70年に海軍に入隊し、対仏戦争開始とともに地中海艦隊に参加。98年にはアプキール湾の海戦でナポレオ 艦隊を壊滅し、男爵号を授与される。さらに01年にはコペンハーゲン攻撃の功により子爵に。05年のトラファルガーの海戦では、ナポレオン艦隊に圧勝したものの、自らは敵の狙撃兵の銃弾に倒れた。彼がこの海戦で行った用兵は、敵の横列陣に縦列陣で突撃し分断、撃破するという、ナポレオンの戦術の艦隊版だった。彼の伝記はチャーチルの愛読書でもあった。

(*3)諸葛亮。字は孔明。181~234年。隆中で自耕していたところを、劉備の三顧の礼による招聘をうけ、「天下三分の計」を明かす。赤壁の戦いでは、呉の孫権と同盟を結び、曹操の魏軍を大敗せしめた。劉備を蜀漢帝に推し、丞相となって支えた。彼の死後、次帝の劉禅をよく補佐したが、陣中に没した。

「銀英伝」には歴史が満ちている――気ままに歴史ネタ探求

歴史ネタ編目次 http://anime-gineiden.com/page-890

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