【銀英伝】ヴェスターラントの虐殺【歴史ネタ】
リップシュタット戦役の最中、ヴェスターラントを統治していたブラウンシュヴァイク公の甥シャイド男爵が、民衆の反乱によって殺された。公爵は怒り狂った。
「賤民どもが! よくも我が甥を殺してくれたな! 我が領土に生きる恩を忘れよって! 恩知らずな賤民どもの上に正義の鉄植を下してやる! ヴェスターラントに核攻撃を加える! 一人も生かしておくな!」(OVA23話)
作者の田中氏は、この辺りの公爵の精神作用を次のように説明している。
「特権を持つ者は、それを持たない人々の全存在、全人格を容易に否定することができる」(第2巻)
こうして2百万もの民衆が虐殺された。
歴史を振り返ると、領主の搾取に耐え兼ねた農民一揆と、それに対する支配者側の弾圧 という反応は、封建・専制社会において、常に繰り返されてきた現象だった。
たとえば、16世紀前半に勃発したドイツ農民戦争である。
信仰の自由と封建支配からの解放を訴状に掲げた農民たちが、各地で農民団を結成して南西ドイツ一帯で蜂起したこの事件は、その規模の大きさから「戦争」と称された。
だが、領主側の弾圧も凄まじく、農民の死者は10万を越えたという。
またロシアでも、17世紀にステンカ・ラージン(*1)が、また18世紀にはプガチョフ(*2)が率いる大農民反乱が起きているが、結局、ツァーリの軍隊にむごく鎮圧されている。
日本でもしかりだろう。享保の大飢籠や天明の大飢籠、天保の大飢籠などで荒廃した農村では、しばしば百姓一揆(*3)が起こった。
だが、ほとんどの場合、藩主は指導者を厳罰に処し、武力で鎮圧した。
ブラウンシュヴァイク公は、「ヴェスターラントはわしの領地だ! よってわしにはあの惑星を自由にする権利があるのだ!」と激を飛ばして、自身の所有物とみなした民衆を平気で虐殺した。
これはあくまでフィクションの例であるが、実際の歴史もまた、特権が限りなく人間をおごり高ぶらせ、その精神を腐敗させるということを証明している。
さて、この「ヴェスターラントの虐殺」は、特権意識の固まりである領主が農民の反乱をむごく弾圧したという事実の他に、その方法として「核兵器を使用した」という側面がある。
この先例を歴史に求めるとすれば、言うまでもなく広島・長崎への原爆投下だろう。
アメリカは1945年8月6日、広島に、ついで9日、長崎に史上初の原子爆弾を投下した。事前警告なしに、都市の真ん中に、朝8時15分という通勤時間帯を狙って。
投下の理由は少なくとも「3つ」ある。
- 第1に戦後の新しい敵であるソ連を強力に威嚇するため。
- 第2にマンハッタン計画に投入した天文学的予算が無駄ではなかったと証明するため。
- 第3に新兵器を実戦で試験したい軍事的欲求のため。
一般的にアメリカ人やその他が信じている「日本上陸戦に伴って発生する百万人の米兵士の犠牲を無くすために原爆投下はやむをえなかった」というのは大ウソ。
当時、すでに日本は二つのルートを通して講和を模索していた。
一つはソ連のスターリンを仲介として。
もう一つは中立国のスイスを通して。
トルーマン政権はこのことをよく知っていた。むしろ、日本が講和して戦争を終わらせる前に急いで原爆を投下した、そのために交渉を引き延ばした、というのが真実。
つまり、原爆投下は「民間人の計画的大量虐殺」という「戦争犯罪」なのである。
また、単に人間の頭上から爆弾を降らせたという点だけみると、第1次大戦中にドイツの飛行船ツェッペリン号がロンドに夜間爆撃を加えたのが最初の事例である。
(*1) ?~1671年。コサックの指導者で、農民たちを率いて67年に反乱を開始。モスクワに進軍した。ツァーリの軍に捕らえられて処刑された。
(*2) 1742頃~75年。コサック 出身で、ヴォルガ川流域のコサックや農民を率いて大反乱を起こした。彼も処刑された。
(*3) ちなみに中国では、農民の大反乱が常に王朝にとどめを刺す役割を担ってきた。秦末の陳勝・呉広の乱、漢末の黄市の乱、元末の紅市の乱、明末の李自成の乱など。
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