【銀英伝】ヤン VS 救国軍事会議【自由惑星同盟内戦の歴史ネタ 前編】
さて、ラインハルトは、心置きなく貴族連合軍と戦うために、自由惑星同盟という「後顧の憂い」を断つ必要があった。
そこで彼が打った手が、帝国の捕虜となっていたリンチ少将を同盟に送り込んで、クーデターを使唆し、内部分裂させるというものであった。
ヤンはあらかじめこれを看破していたが、結局、後手にまわってしまい、「救国軍事会議」による首都制圧が成功してしまう。
従来の同盟の政治に辟易していたヤンだが、「ベターな方を選びたい」彼は、シェーンコップの悪魔のささやき(笑)にも屈せず、即座に出撃を決意する。
一方、救国軍事会議側は、ヤンを屈服させるため、ルグランジュ提督率いる第11艦隊を出動させた。
本編ナレーションは次のように伝える。
「自由惑星同盟の建国以来270年。国家を二分する初の内戦はこうして始まった・・・」(OVA19話)。
このような軍人のクーデターに端を発する国を二分した内戦といえば、真っ先に列挙しなければならないのは20世紀の「スペイン内乱」ではないだろうか。
1931年、革命によって共和制が樹立したスペインだが、左右の対立が激しく、政治状況は不安定なままだった。
36年、総選挙で僅差の勝利をした左翼勢力の人民戦線内閣が成立したが、国内は依然、混乱がひどく、これを口実にしてフランコ将軍がクーデターを行った。
これによりスペインはたちまち両勢力に二分され、内戦に突入した。

人民戦線政府側には、ジョージ・オーウェル(*1)やヘミングウェイ(*2)、アンドレ・マルロー(*3)らも参加した国際義勇兵やソ連が支援し、対する右派のフランコ側には、ナチスドイツやファシスト党のイタリアが援助した。
これは「ファシズムに対する人民の戦い」として世界中から注目されたが、結局、39年に首都マドリードがフランコ軍の手におち、内戦は終結した。
ちなみに、フランコの独裁はその後、1975年まで続いた。
(*1) 1903~50年。イギリスの作家。従軍記として『カタロニア讃歌』を執筆。その他『動物農場』『1984年』などの作品がある。
(*2) 1899~61年。アメリカの作家。『日はまた昇る』『誰が為に鐘が鳴る』などの作品がある。
(*3) 1901~76年。フランスの作家。内乱には国際義勇軍飛行隊長として参加し、その後はレジスタンス、そして戦後はド・ゴール政権の文化相を務めたりした。『人間の条件』『希望』などの作品がある行動派の知識人。
「銀英伝」には歴史が満ちている――気ままに歴史ネタ探求
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