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【銀英伝】イゼルローンのヤン、政府に疎んじられる【歴史ネタ】

歴史ネタ編

宇宙暦796年末、ヤンは帝国領侵攻が失敗に終わった後、イゼルローン要塞及びその駐留艦隊司令官に任ぜられ、99年の退役までその地位に就いている。

だが、同盟の内戦終結(宇宙暦797年8月)後、ヤン艦隊の熟練兵たちは引き抜かれて新設部隊の中核的存在になることを求められ、イゼルローンには新兵が押し付けられた。

ヤンが政治的野心を抱いていると疑った政治家たちは、彼を本国に呼びつけて「査問会」なる精神的リンチにまでかける有り様であった。

フェザーン駐在弁務官事務所付武官としての辞令を受けて、ハイネセンに帰国したユリアンに対して、ビュコックが次のように語っている(OVA41話)。

「為政者にとって首都を遠く離れた地域の軍隊が、司令官の私兵化し、軍閥化して中央政府のコントロールを受け付けなくなるというのは、いわば永遠の悪夢というやつでな。それを防ぐために人事権を使って、部隊の中枢メンバーが固定しないように努めるわけだ」

このような杞憂に捕らわれた矮小な同盟の為政者たちから、ヤンは散々に足を引っ張られたわけである。

だが、歴史の先例をみると、確かにこの種の心配は実在する。

たとえば、先程も触れたように、ユリウス・カエサルはガリア属州総督時代に軍団を私兵化して、ルビコン河を渡ってローマに攻め入って独裁者となった。

また、3世紀半ばの軍人皇帝時代(*1)では、各地の駐屯軍がそれぞれ「皇帝」を擁して、抗争を繰り返している。

また、中国・唐の時代、辺境防衛のために「節度使」が設置されたが、のちに兵権のみならず行政権も与えられたため、軍閥化した。

当時採用されたばかりの職業軍人制度も軍団の固定化に拍車をかけたといわれている。

その中で、北方の三節度使を兼ねる安禄山(*2)が、755年に挙兵して、長安を陥落せしめ、一時は皇帝を借称する事態にまで至った。

戦後では、アルジェリア(*3)のフランス軍が本国政府に対して反旗をひるがえした例がある。

当時、民族自決主義を容認する本国政府のアルジェリア政策に反対して、あくまで植民地主義の立場に固執する現地の欧米市民と将軍たちが、ド・ゴール(*4)をかつき上げて、本国政府と対峙したのだ。

このアルジェリア駐留軍は、コルシカ島に空挺部隊を降下させ、現地陸軍も掌握して、一時は本国に侵攻する勢いさえみせた。

このフランス内乱の危機を収拾する期待を担って、ド・ゴールが政界に復帰した。

だが、彼は大統領権限を強化した第五共和制を発足させ、国民投票を背景にして、逆にアルジェリアを独立させた(*5)

まさにビッコックの言うように、地方・辺境の軍隊が軍閥化してコントロールが効かなくなるのは、中央の為政者にとって「永遠の悪夢」なのだ。

(*1) 235~284年。アレクサンデル・セウェルス帝が暗殺されてから、ディオクレティアヌス帝が帝国を再統一するまでの間、18もの皇帝が次々と登場しては暗殺されていった時代。

(*2) 705~757年。ソグド系で、玄宗皇帝の信任をえて出世した。政治の実権を握っていた楊国忠との反目の末に挙兵し、洛陽を陥落させた後、「大燕皇帝」を僭称した。後に息子に殺害され、乱は部下の史思明が継承。2人あわせて「安史の乱」といわれる。

(*3) アフリカ北西部に位置する。古くはフェニキア領、ローマ領、イスラム帝国領、オスマン帝国領となり、1834年にフランスに併合される。戦後「民族解放戦線」が独立運動をはじめて、現地フランス人と対立する。1 962年に念願の独立を達成する。

(*4) 1890~1970年。フランスの軍人・政治家。第2次世界大戦でフランスがドイツに降伏すると、イギリスに逃れてレジスタンスを指導。アルジェリアに臨時政府を築き、解放後のパリに凱旋。新憲法下で首相になった。53年に引退するが、植民地アルジェリアのフランス軍反乱をきっかけに政界に復帰。58年には第五共和制に移行して大統領となった。

(*5)右翼はこれを裏切り行為とみな し、ド・ゴールは何度も命を狙われた。英国人作家フレデリック・フォーサイスの『ジャッカルの日』で描かれたド・ゴール暗殺犯の物語はこの辺りの史実 による。

「銀英伝」には歴史が満ちている――気ままに歴史ネタ探求

歴史ネタ編目次 http://anime-gineiden.com/page-890

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