【銀英伝】独裁権を手中にしたラインハルトによる大改革の断行【歴史ネタ】
ラインハルトは、内乱(=リップシュタット戦役)の後、部下の功によって潜在的な敵対者 であったリヒテンラーデ公を排除した。そして、帝国軍最高司令官の地位とともに帝国宰相を兼任し、事実上の独裁権を確立した。
彼は政治・軍事の大権を有すると、少年時代から胸の奥に育んできた社会改革の構想を実行に移した。ラインハルトは言う。
「体制に対する民衆の信頼を得るには、2つのものがあればよい。公平な裁判と、同じく公 平な税制だ。ただそれだけだ」(OVA27話)
ラインハルトは、貴族特権の廃止、荘園の解放、民法の制定、税制改革、農民金庫の新設、言論の自由の保障などの施策を、矢継ぎ早に実行していく。
とくに農奴を解放し、「旧大貴族の所有していた広大な荘園を無償で農民に与え」(第3巻)たのは、改革というよりは、もはや「革命」に等しい偉業であろう。
このような、民衆の手によらない「上からの改革」という点では、啓蒙専制君主であるプロイセンのフリードリヒ2世や、神聖ローマ帝国皇帝ヨーゼフ2世の行った農奴制の廃止、司法・税制改革、及び福祉の充実化の例などが挙げられる。

また、「ラインハルト改革」は、フランス革命時における「封建的諸特権の廃止」(*1)および「人権宣言」で採択された言論・出版の自由、そしてその革命の成果を継承したナポレオンによる民法典の制定などを想起させる部分もある。
『銀英伝』では、改革派の開明的な貴族として、カール・ブラッケやオイゲン・リヒターといった人物が出てくるが、これに当たるのは、さしずめミラボー伯爵(*2)や名門貴族出身のラファイエット(*3)といったところだろうか。

1917年のロシア革命では、地主の土地を没収して無償で農民に分け与えられた。これなどもラインハルトの改革に似た例であるといえるかもしれない。
(*1)貴族と聖職者がえていた特権の廃止。教会財産の国有化と売却、高等法院と領主裁判の廃止、租税上の優遇処置の撤廃など様々な身分的特権をなくした。
(*2) 1749~91年。全国3部会の第三身分会(平民)に属し、立憲君主制を主張。宮廷と秘密取引をして革命の行き過ぎを阻止しようとしていた、ともいわれている。
(*3)1757~1834年。アメリカ独立革命に共鳴して兵を率いて渡米。独立派に参戦し、フランスのアメリカ支援を働きかけた。帰仏後は、貴族身分会から三部会に出席するも、第三身分会が成立させた国民議会に合流し、「人権宣言」の草案を作成した。その後も波乱の政治遍歴をし、1830年の7月革命も推進。晩年に回想録を残した。
「銀英伝」には歴史が満ちている――気ままに歴史ネタ探求
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