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【銀英伝】ヤン、同盟政府の命令で降伏する【歴史ネタ】

歴史ネタ編

フェザーン回廊から侵攻して来た帝国軍に対し、同盟政府は戦慄する。

同盟側は、宇宙艦隊司令長官ビッコックの下、同盟軍は急ぎ寄せ集めの三個艦隊を編成。「双頭の蛇」陣形の帝国軍と戦闘に入った(ランテマリオ会戦)。

一方、総司令部から自由裁量をゆだねられたヤンは、イゼルローン要塞を放棄。戦場に駆けつけて、危うく同盟軍の壊滅を阻止する。

ラインハルトの方もいったん後退し、ガンダルヴァ星系第2惑星ウルヴァシーに拠点を築いた。

宇宙暦799年2月、ハイネセンへ帰国したヤンは、同盟軍史上最年少の元帥に昇進した。今や同盟軍唯一の戦力となってしまったヤン艦隊だが、同盟領全体を利用したゲリラ的戦法で、帝国軍の補給部隊を殲滅し、シュタインメッツ艦隊を撃破し、またその増援に駆けつけたレンネンカンプ艦隊に一撃を浴びせた。続いてワーレン艦隊をも詭計で葬った(連戦)。

これに対して、ラインハルトは、ついに雌雄を決すべく、自らの直属艦隊を囮にして、ヤンをおびき寄せることする。ラインハルトを討ち倒し、帝国軍を分裂させることでしか勝機のないヤンも、それを受けて立たざるをえなかった。

こうして4月24日、両者の直接対決が始まった(*1)

激戦が繰り返され、ヤンはその用兵のすべてを駆使してラインハルトを一時のピンチに追い込むが、ミュラーの救援に阻まれる。

しかし、5月5日、激闘の末ついにヤンはブリュンヒルトをその射程に捕らえた(バーミリオン会戦)。

だが、ここで突然、政府からの停戦命令が入る。

ミッタマイヤーとロイエンタールの両将が、ヒルダの助言を受け入れて、ハイネセンへ侵攻し、同盟政府を降伏させていたのだ。

ヤンの耳元で再び始まるシェーンコップの悪魔のささやき(笑)。

しかし、ヤンは命令に従い、停戦した。

まさにこの場面こそ、『銀英伝』の真髄であり、ヤンの真髄であろう。

あらゆる『銀英伝』の中でも白眉の場面の一つである。

ヤンは、明かにここで、過去の大勢の軍事的英雄が直面したその「同じ岐路」に立たされていたのだ。

もちろん先人は、ことごとく同様の選択をしていった。

すなわち「独裁者」への道を。

だが、ヤンは歴史の撤を踏まなかった。先人の過ちを繰り返さなかったのだ。

ジョアン・レベロが「レストラン白鹿亭」で、ヤンに次のように語っている。

「今国民が政治に信頼を失いつつある時、実力と人望を兼ね備えた高級軍人が一方に存在する。つまり、君のことだがね、ヤン提督。これは民主共和政体にとって危険極まる事態だ。独裁政治の芽を育てるための温室とさえ言っていいだろう」(OVA32話)

「この状態は5百年前の銀河連邦とまったく同じなんだ。まかり間違えば、君が第二のル ドルフ・フォン・ゴールデンバウムになる可能性すらあるんだよ」(同)

また、ヤン自身もまたシトレ元帥に対して次のように語っている。

「私は権力や武力を軽蔑しているわけではないのです。いや、じつは怖いのです。権力や武力を手に入れたとき、ほとんどの人間が醜く変わるという例を、私はいくつも知っています。そして自分は変わらないという自信を持てないのです」(第1巻)

歴史を振り返ると、軍事的英雄は常に独裁への道をひた走っている。

その例として、ユリウス・カエサルとナポレオンが共和政治を打倒して独裁者と化したことは前述の通りであるが、その他にもないわけではない。

たとえばオリヴァー・クロムウェル(*2)

1649年のピューリタン筆命を推進した中心人物である。

当時、専制政治を行っていたチャールズ1世は、課税問題をきっかけに議会側と激しく対立してしまう。1642年、国王は議員を逮捕しようとするが、失敗。イギリスはこれを契機に王党派と議会派が争う内乱になってしまう。

この時、議会派の領主の下で騎兵将校をしていたのが、議員の1人だったクロムウェルである。軍事的才能を有する彼は、鉄の規律で拘束された新型軍を編成し、王党派を撃破した。こうして49年、国王は処刑され、イギリスに共和制が樹立された。

だが、クロムウェルは、議会内の対立派閥を粛正し、最終的には議会をも解散させて、終身のロード・プロテクター(護国卿)に就任、独裁者と化してしまう。

結局、彼の独裁政治は民衆の反感をかい、その病死後には王制が復古してしまった。

また、20世紀ではポーランドのピウスツキ(*3)の例がある。

ヨーゼフ・ピウスツキはポーランド独立の英雄だった。第1次大戦中、ピウスツキはポーランド軍を組織してロシアと戦い、ロシア・オーストリア・プロイセンに分割されていた祖国を、戦後、共和国として独立させるのに貢献した。

こうして独立後、彼はポーランドの最高権力者である国家元首となる。

そして20年、ウクライナに進軍して、ソ連からキエフを奪い、反撃してきた赤軍から祖国を防戦し、国境を東に拡大することに成功した。

だが、22年に新憲法が施行されると、大統領権限が少なすぎることに不満な彼は、立候補を拒否する。そして26年、政敵が首相に就任すると、ついにクーデターを断行して、独裁政治へと走った。

ピウスツキは反対派を弾圧する反動政治を行い、35年、病のため死去した。

過去の過ちを繰り返さず、歴史に「良き前例」を残したヤン・ウェンリー。

これにより、歴史年表に埋もれていった先人の「ワン・オブ・ゼム」(その他大勢の一人)から脱して、未来の指標となったヤン。手本となったヤン。

彼の足跡は、『銀英伝』ワールドの人類が歴史を有する限り、大きな手本として輝き続けるだろう。

(*1) ちなみに、この戦闘の直前に、ヤンは勇気を振り絞ってフレデリカにプロポーズした。

(*2) 1599~1658年。ジェントリ (地主)の出身で、ピューリタン。平民の議員となり、内乱の開始後は軍人となる。

(*3)1867~1935年。帝政ロシア支配下のポーランドで、下級貴族の家に生まれる。20歳の頃、ロシア皇帝アレクサンドル3世暗殺を企てた疑いで5年間シベリアに送られた。クーデター後は、国防相の地位のまま独裁政治を行った。

「銀英伝」には歴史が満ちている――気ままに歴史ネタ探求

歴史ネタ編目次 http://anime-gineiden.com/page-890

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