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【銀英伝】ラインハルト、ついに皇帝になる【歴史ネタ】

歴史ネタ編

ヤンが政府の停戦命令を受諾したことによって、自由惑星同盟は1世紀半の長きにわたる戦争についに敗北した。

宇宙暦799年、帝国暦490年5月25日、事実上の降伏文書である「バーラトの和約」が両者の間で締結される。

一方、ラインハルトは、女帝カザリン・ケートへンの親権者ペグニッツ公爵に、女帝の退位と帝位をラインハルトに譲るという宣言書に署名させた。

そして6月22日、彼は載冠する。

こうして新帝国暦1年となり、ローエングラム王朝が始まった。

そういえば、中国史にこんな例がある。

隋の第2代皇帝・煬帝(*1)は、父文帝の大運河建設を継承して完成させるなど、大土木事業を推進する一方、モンゴルやインドシナ、三度にわたる高句麗遠征などの積極的な外征も行い、国力を疲弊させた。

これらは農民を徴発して行われたため、この悪政に耐えかねて、各地で農民反乱が相次いだ。

この時、隋の武将であった李淵は、首都長安を占領し、煬帝の幼い孫を皇帝に立てて実権を握る。しかる後、彼が擁立した第3代皇帝・恭帝より正式に位を譲り受け、大唐帝国を開闘した。

自身が擁立した幼帝より帝位を譲り受けるという点で、両者は似ているかもしれない。

さて、ラィンハルトは戴冠式の時、自分の手で冠を掴み、頭上に被せた。

これはナポレオンと同じである。

元来、ヨーロッパの君主は、教皇や大司教に冠を被せてもらうのが通例であった。なぜなら「地上の国家は数あれど、神の国はただひとつしかない」ということで、長らく聖職者は、世俗の上に立つ権威の持ち主とされたからである。

ナポレオンは、教皇を横に立たせて、自らの手で戴冠し、さらに皇后ジョセフイーヌに対しても自分が冠を授けた。もっとも、銀河帝国には聖職者などというのは地球教徒しかいない様子だから、ラインハルトが自分で戴冠したのも無理からぬことか。

ちなみに、新帝国の新内閣が組織されてすぐに、国務尚書マリーンドルフ伯がラインハルトに結婚をすすめている。

これに対しオーベルシュタインが「皇妃候補者の筆頭は、国務尚書のご令嬢ですかな」(OVA57話)などと、すかさず牽制を入れている。

「軍務尚書は、お父さまと私とで陛下をたぶらかして、国政を壟断することがないよう警告したのでしょう」とヒルダは語り(同話)、またオーベルシュタインも「皇妃の父兄すなわち外戚がいたずらに栄誉を誇り、権力をふるうがごときは、国家に多大なる害をもたらします」(OVA58話)とラインハルトに警告を発している。

無論、その意味するところを察したラインハルトは、「卿は誰か特定の人物が皇妃の宝冠をいただくことに反対しているように思えるな。(中略)皇妃が政治上、皇帝につぐナンバー2となっては、はなはだまずいか」と、すかさず皮肉を発している。

たしかに外戚が専横をふるい、ついには王朝そのものを纂奪するに至った例が、中国史にはある。

前33年、前漢の第9代皇帝・元帝が崩御した後、皇太子(成帝)が即位するのだが、実質は皇太后とその兄の王鳳が政治・軍事の実権を握った。こうして王一族が権力の中枢を占めると、専横をふるって次第に帝国を私物化しはじめた。

結局、王葬の時代になって漢王朝は纂奪され、国号が「新」となった(9年)。

だが、彼の政治は失敗し、大規模な農民反乱(赤眉の乱)が発生。

この混乱を漢の帝室につらなる劉秀(光武帝)が治め、後漢王朝を開いた(25年)。

だが、この新王朝もまた、末期には幼帝が相次いで外戚が専横をふるうようになり、これに対峙する官官勢力と内紛になって、ついには滅亡(*2)してしまう。

また、中国史上初の女帝・武則天(則天武后)の例もある。

唐の高宗が晩年病を患うと、皇后自ら政務をとるようになり、690年、ついに国号を「周」と改め、聖神皇帝として即位した。

こうして武一族が帝国の実権を握ることとなる。

彼女が唐の国号を再興し、自分の後継者として息子の中宗を復権させると、因果はめぐるというのか、今度はその皇后である韋が中宗を毒殺して実権を握ろうとした。

結局、この企ては失敗したが、この「女禍」は、後世の歴史家によって「武韋の禍」などと称されるようになる。

このような歴史を顧みると、オーベルシュタインがマリーンドルフ伯爵家を牽制したのも無理からぬことかもしれない(彼は歴史に通じているに違いない)。

(*1) 608~18年。初代文帝の第2子として生まれる。兄を陥れ、父帝を謀殺して帝位につき、さかんに土木工事をした。612年の高句麗遠征に失敗したのを機に反乱が相次ぎ、近衛兵に殺害された。

(*2) 184年の黄市の乱の勃発で後漢は事実上滅んだ。196年に曹操は流浪の身である献帝を擁し、天子の権威をものにしたが、208年の「赤壁の戦い」で大敗する。220年、献帝は曹操の子・曹不に玉璽を手渡し、帝位を譲った。ちなみに玉璽とは、皇帝の命令書に押される印鑑のことで、逆にいえばこれが押印された文書は「勅令」ということになり、官僚組織が自動的に動くことになる。ちなみに銀河帝国では「国璽」が登場する。これも基本的には玉璽と同じようなもので、国家の標章であり、国書・親書などに押す官印である。

「銀英伝」には歴史が満ちている――気ままに歴史ネタ探求

歴史ネタ編目次 http://anime-gineiden.com/page-890

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