【銀英伝】帝国軍再侵攻、自由惑星同盟の滅亡【前編 歴史ネタ】
宇宙暦799年、新帝国1年11月、同盟全市民に対して、カイザー・ラインハルトは超光速通信の演説放送を行った。
それはヤン一党が逃亡せざるをえなかった事件の真相を打ち明けると同時に、同盟政府の非をならす内容でもあった。
こうして、バーラトの和約の破棄と再度の宣戦布告がなされた。
同盟政府の卑賤な企てが、かえって己の首を絞める結果になってしまったのだ。
帝国軍の同盟領再侵攻が始まった。
迎え撃つのは、ビュコック指揮下の最後の同盟艦隊。
ビュコックたちは「民主主義」に殉死するがごとく、壮絶な戦死を遂げた。
一方、再陥落させたイゼルローン要塞でその訃報を知ったヤンは自分を責めるのだった。
翌年、占領されたハイネセンにて「冬バラ園の勅令」が公布される。
「宇宙暦800年、新帝国暦2年2月20日、自由惑星同盟は273年におよぶその歴史 を終えた」(OVA73話ナレーション)
さて、戦争後、いったん和議を結んでいながら、再征服の機会をうかがい、結局はライバル国家を滅ぼしてしまった事例となると、ポエニ戦争の例が挙げられる。

ローマとカルタゴは、前24年か ら前146年の長きにわたって、3度も戦った。
その間、2度も和議を結んだ末、結局、ローマがカルタゴを「根こそぎ滅ぼす」ことで、この長きにわたった戦争は終結した。
当初、ローマはまだイタリア半島内に留まる国家で、一方のカルタゴは現在のチュニジアの辺りに位置する海上交易国家であった。
前264年、ローマがカルタゴ領であったシチリアに手を出したことによって、両国の戦争が勃発する。
この時のカルタゴは、備兵が主体の地中海を支配する大海軍国家であり、これに対抗するためにローマもまた次々と軍艦を建造していった。
そして、地中海を舞台に、両国は幾度となく激しい艦隊戦を繰り広げた。
前241年、ついにカルタゴが和議を乞うた。
ローマはシチリア島の割譲と賠償金の獲得に成功した後、さらにカルタゴからコルシカ島やサルジニア島まで奪ってしまう。
次の第2次戦争(前218〜前201年)では、いよいよかの名将ハンニバル(*1)が登場する。ハンニバルは、戦象(ゾウ部隊)を率いてのアルプス越えや、ローマ軍を「凹型陣形」に引き込んでの包囲殲滅戦(*2)など、軍事的天才ぶりをいかんなく発揮し、ローマ軍を苦戦させる。だが、ローマ側は持久戦へと持ちこみ、さらに大スキピオ(*3)を司令官として、カルタゴ本国のほうへと攻めのぼらせた。
これに対して、カルタゴ軍は連戦連敗し、ついにハンニバルに帰国命令を発する。
前202年、カルタゴのザマで、ハンニバルと大スキピオ両軍が激突した。
双方ほぼ互角の約5万の軍勢。
だが、ハンニバルは敗北し、ここに第2次ポエニ戦争は終結した。
(*1)前247~前183年。10歳の時にスペインに渡り、スペイン・カルタゴ軍に従軍。前221年に軍団司令官となる。前219年、ローマの同盟市サグンドゥムを攻撃したことから、第2次ポエニ戦争が勃発した。前218年、4万の大軍でピレネーを越え、さらに翌年「アルプス越え」を敢行してイタリア半島に侵入。各地でローマ軍を撃破した。ローマとの和平後はカルタゴのコンスル(執政官)に選出されるが、政敵の陰謀でローマから追われる羽目になる。前183年、逃げ切れないと悟り 自殺した。
(*2)力ンネーの戦い。南イタリアにある地方。5万のカルタゴ軍が8万のローマ軍を囲陣に引き込み、殲滅した。ローマ側戦死者7万、カルタゴのそれは6千という圧勝だった。
(*3)前236~184年。将軍。軍団を率いてスペインのカルタゴ根拠地を攻撃し、ローマの支配権を確立した。前205年、元老院の反対を押し切ってカルタゴ本国に遠征。ハンニバルを帰還せしめた。
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