【銀英伝】帝国軍再侵攻、自由惑星同盟の滅亡【後編 歴史ネタ】
第2次ポエニ戦争後、ローマとカルタゴの間で和議が結ばれる。
カルタゴの国家主権は存続を許されたものの、ローマへの軍艦の引き渡しや、50年間の年賦の賠償金の支払いなど、苛酷な条件が強いられた。
『銀英伝』では、これに当たるのが、さしずめ「バーラトの和約」になるのだろうか。
オーベルシュタィンは、「同盟を形式の上でも完全に滅亡させ、直接支配下に置くことは時期尚早との意見が多うございます」と述べた上で、同盟を第2のフェザーンたらしめないためにも、財政を悪化させる処置はとっておくべきである、と進言する(第5巻)。
この具申に対し、ラインハルトも「当然だな」と返答。
こうして、「バーラトの和約」の第4条には、「同盟は帝国に対し年間1兆5000億帝国マルクの安全保障税を支払うものとする」と記載される(ちなみに第5条は「戦艦および宇宙母艦については、保有の権利を放棄する」とある)。
相手の経済復興を阻止する目的で、安全保障税名目の年賦の賠償金を課し、かつ軍事力を削ぎ落とすやり方が、ポエニ戦争の和議とよく似ていると思う。
ちなみに、近代では、独仏が互いによくやり合っていた(*4)ことでもある。
話をポエニ戦争に戻そう。
この苛酷な和議にも関わらず、カルタゴは再び経済大国として復活する。
そして長年支払ってきた年賦の賠償金を、前187年に「残り36年分まとめて」一気に支払ってしまう。
この経済力にローマが警戒した。
ローマは悪知恵を働かせ、カルタゴの隣国で第二次ポエニ戦争ではローマ側についたヌミディアを使唆して、カルタゴを挑発させる。
やむなくカルタゴは自衛した。
するとローマは、和議の中に含まれる「カルタゴの自主的交戦権の禁止条項」を持ち出して、その違反の非を打ち鳴らし、再び宣戦布告する。
この第3次ポエニ戦争(前149~前146年)は、古代史における大きな悲劇の一つとして数えられている。
ローマ軍は、籠城をはじめたカルタゴを撃ち破り、住民約70方の内、65万人を殺害し、残りを奴隷にしたという。
カルタゴは再三にわたりローマに和平を乞うたが、元から悪意のあったローマには通じなかったのだ。
また、ローマに一度征服され自治権を与えられるが、結局は滅ぼされてしまった例として、ユダヤ王国の事例も挙げられる。
ポエニ戦争からさらに時代を下った前1世紀ごろ。
当時、パレスチナにあったユダヤ王国はポンペイウスに攻められ、ローマ領土となった。だが、ローマの宗主権下で王制による自治が認められる。
しかし、アルケラウス王の時に反乱が起こり、その鎮圧を機に、ユダヤの地は完全に併呑され、ローマ帝国の直轄地となった(後6年)。
そして、紀元後66年、ネロ帝治世下の圧政に耐えかねたユダヤ人たちが、最後の大反乱を起こした。
これに対してローマ軍は、4個軍団を派遣してエルサレムを鎮圧し、民衆を虐殺した。
ユダヤ人たちは「マサダの砦」にこもって抵抗を続けるが、73年、ついに抗し切れなくなって、最後には960人全員が集団自決し、ここに民族離散の悲劇が始まった。
さて、『銀英伝』であるが、カイザー・ラインハルトの新帝国もまた、隙あらば「バーラトの和約」なんぞ破棄して、同盟を完全併合したがっていたようだ。
とくにオーベルシュタインがレンネンカンプの暴走を使唆したのも、もとから同盟に和約違反を犯させるのが狙いであったと思われる。
こーゆー悪巧みをする人たちには、善意など端から通じない、というのが歴史の教訓であろう。
この抗い難い状況下で、むしろジョアン・レベロ議長は奮闘したのかもしれない。
(*4) ナポレオン戦争でフランスはプロイセンに多額の賠償金を課し、普仏戦争でプロイセンはフランスに多額の賠償金を課し、第1次世界大戦でフランスはドイツに多額の賠償金を課した(笑)。
「銀英伝」には歴史が満ちている――気ままに歴史ネタ探求
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