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【銀英伝】イゼルローン共和政府の誕生【歴史ネタ】

歴史ネタ編

ヤン・ウェンリー亡き後、彼の被保護者であり用兵学上の弟子であったという事実により、ユリアン・ミンツが軍事指導者の地位に就いた。また、ヤンの未亡人となったフレデリカが政治代表者の地位に就いた。

こうして宇宙暦800年8月、イゼルローン要塞に残留したわずか94万名ほどの人員によって、全宇宙で唯一、民主共和制の火を掲げる「イゼルローン共和政府」が誕生した。

帝国人民との比率は、わずか「42万5千対1」であった。

さて、我ながら強引なこじつけだと思うが、強大な帝国による征服を逃れて、脱出したわずかな人員によって辺境で新政権が樹立された歴史の例となると、鄭成功による台湾での自立の事例が挙げられるのではないかと思う。

1644年、農民反乱軍により明朝が倒れた。

明の崇禎帝 Chongzhen Emperorを自害に追い込んだ李自成 Li Zicheng

だが、すぐにこれを北京から追い払って新たに中国の支配権を獲得したのは、北方民族の清であった。

一方、一部の明の遺臣たちが清朝に服属せず、明の帝室に連なる一族を擁立して、抵抗をはじめた。その中の1人が元海賊の首領で、後に明朝から正式に役職を授けられた鄭芝龍(ていしりゅう)である。

交易で莫大な富をえていた彼は、長崎の平戸で日本人女性と結婚し、息子の福松をもうけていた。

この子こそ、後に清朝を最後まで脅かす鄭成功である。

さて、明滅亡の翌年、清軍に追われた明の皇族の一人・唐王は、福州(福建)におもむいて、鄭芝龍によって帝位に擁立された。

だが、抵抗空しく清軍に捕らえられ、鄭芝龍も降伏。

だが、息子の鄭成功はこれをよしとせず、あくまで明朝の復興を願う。

志しを同じくする明の遺臣たちは、今度は新たに別の皇族の一人・永明王を擁立した。

1650年、鄭成功は、台湾と大陸の間にある厦門(アモイ)島と金門島を占領して、ここを根拠地とした。そして58年、交易で力を蓄えた彼は、満を喫して290隻の艦隊を率い、南京へと攻めのぼった。

だが、清軍の奇襲攻撃に破れ、厦門へ退却せざるをえなかった。

そこで鄭成功は、新たな根拠地として、より安全な台湾への移動を決意した。

61年、彼は300隻の艦隊に2万5千の兵を載せて、台湾のオランダ勢力(*1)の根拠地のあるゼーランジア城とプロヴィンシア城の攻略を開始する。

翌年、オランダ軍は降伏し、撤退。

鄭成功 Koxinga

一方、同年、清軍に追われて雲南からビルマへと逃れていた永明王は、ついに捕らえられ、処刑されてしまう。

ここに明朝の血統は完全に途絶えた。

だが、全中国を治める清朝に対して、唯一、反旗をひるがえして、辺境である台湾の地に鄭氏政権が樹立された。

彼らだけが「明暦」を使い、あくまで強大な清朝に抵抗を続けたのだ。

だが、この年に鄭成功は、わずか39歳の若さで病死する。

後を継いだのは、息子の鄭経である。

鄭氏政権は、主に中国の物産を日本や東南アジアに輸出することで資金をえていたので、清朝は大陸の沿岸を無人化(*2)することで交易の根を断った。

その後、清朝は使者を送り、反抗をやめて化外の一国に留まるなら内政の自治を認めてもよいという書簡を送るが、鄭経が大陸との貿易に固執しため、交渉は決裂した。

1683年、清軍は2方の兵で澎湖諸島(台湾と大陸の間に位置する島々)を占領する。ここを失った台湾の鄭氏政権はついに降伏した。

ここに22年間続いた台湾の自立勢力は、消滅した。

また、20世紀では、ド・ゴールの亡命政権の例もある。

1940年5月、ドイツ軍の電撃的な侵攻によって、西部戦線の連合軍は総崩れとなり、瞬く間にフランスは占領されてしまった。

同6月、ペタン内閣は休戦を申し入れる。

わずか1カ月でフランスは敗北したのだ。

だが、ロンドンに渡ったド・ゴール将軍は、BBCラジオから徹底抗戦を呼びかけ、「自由フランス委員会」を設立した。

Free France and Vichy France

これに対しナチスの傀儡に等しいヴィシー政権は、国家反逆罪でド・ゴールに死刑を宣告する。この時、ヒトラーのナチスドイツは、すでにオーストリア・チェコ・ポーランド・デンマーク・ノルウェー・ベルギー・オランダなどを支配下におき、ヨーロッパ大陸のほぼ全域を、協力国か衛星国で埋め尽くしていた。

一方、自由フランス軍には、次第に亡命フランス軍兵士たちが合流していった。

そして43年、ド・ゴールはアルジェリアの首都アルジェで国民解放委員会を創設。国際的な承認もえて、翌年には共和国臨時政府を樹立した。

そして44年6月、「史上最大の作戦」と呼ばれた連合軍によるフランス・ノルマンディー上陸が行われる。8月、連合軍がパリに近づくと、レジスタンスが一斉に武装蜂起してドイツ軍に逆撃を加え、またド・ゴールの要望でフランス師団がパリ解放の先頭に立った。こうしてフランスはナチスドイツの支配を脱した。

もちろん、この事例において「イゼルローン共和政府」と似ている点といえば、自由と民主主義を旗印とする一部勢力が、強大な帝国による征服を逃れて、頑強に抵抗し、その灯を保ち続けたという程度である。イゼルローン共和政府には「援軍」などなかったし、首都星ハイネセンを武力解放したわけでもない。

話を『銀英伝』に戻そう。

イゼルローン共和政府は、成立して1年と経たずに、帝国軍と戦ってバーラト星域の内政自治権を獲得した。

これは本当に正解だったのではないかと思われる。というのも、いかに自給自足ができる「人工天体」とはいえ、エル・ファシルの革命政府も解散したとなっては、完全に孤立無援の勢力となったわけである。

確かにイゼルローン要塞の核融合炉の火が灯っている限り、一種の鎖国・自給自足体制でも生きてはいけるだろう。

だが、フェザーンのように交易か、あるいは海賊行為でもしない限り、次第に経済的にじり貧になっていくのは目に見えていたに違い。

だから早期に帝国軍と開戦したのは、非常に賢明な決断だったのではないだろうか。

(*1) 1622年、台湾にオランダ人が入植し、交易の拠点として要塞を築いた。

(*2) 1661年発布の遷界令。鄭成功一味を経済封鎖しようとした。

「銀英伝」には歴史が満ちている――気ままに歴史ネタ探求

歴史ネタ編目次 http://anime-gineiden.com/page-890

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