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【銀英伝】イゼルローン共和政府、内政自治権を獲得する【歴史ネタ】

歴史ネタ編

「ロイエンタール元帥反逆事件」の後、歴史は再び加速を早めた。

宇宙暦801年、新帝国暦3年1月、カイザー・ラインハルトとヒルデガルド・フォン・マリーンドルフは結婚した。

一方、帝国軍の支配下にあるハイネセンでは、ルビンスキーが背後で糸をひくテロや暴動が頻発し、社会情勢が急速に悪化していた。

イゼルローン共和政府が、先の帝国の内戦に際し、メックリンガー艦隊の回廊通過を許可したことも、一部の市民の疑念を招いていた。

「一戦交えましょう」

ユリアンはそれをもってイゼルローン軍が「民主共和制を守護する軍隊」であることを表明することにした。

2月、イゼルローン軍はワーレン艦隊を撃破。

3月、オーベルシュタイン元帥が新領土に赴任。

旧同盟の重要な人物5千名以上を捕え(*1)、イゼルローン要塞の開城を迫った。

これに応えて共和政府の幹部はいったんハイネセンへ向かうが、ラグプール刑務所で暴動が発生したことを知り、引き返す。そして5月、カイザー・ラインハルトの帝国軍とイゼルローン軍の最後の戦いがはじまった(シヴァ星域会戦)。

だが、戦闘の最中、ラインハルトは発病し、倒れた。

一方、ユリアンたちは旗艦ブリュンヒルトに突入して揚陸に成功し、白兵戦を挑んだ。

ユリアンは傷つきながらも、ラインハルトの前にまでたどり着き、面談した。

共和主義者は決して専制者に膝を屈しないとして。

こうして6月1日、両軍の戦闘は終結し、和平が成立した。

イゼルローン共和政府が戦って得たもの。

それは惑星ハイネセンを含む「バーラト星域の内政自治権」であった。

戦って自治権を得る・・・これに対応する歴史の事例はあるのだろうか。

大帝国の支配に屈することなく果敢に戦い、一定の戦果をえたことで交渉の資格があることを証明し、相手の譲歩を引き出して、最後には内政自治権という果実をもぎ取った例となると、近代では1899~02年の「南ア戦争(ボーア戦争)」の事例がある。

19世紀末、アフリカ大陸の南端にはイギリスのケープ植民地があり、その北方には彼らの支配を嫌って移住したボーア人の国であるトランスヴァール共和国とオレンジ自由国があった。

これらの国で金とダイヤモンドが発見されると、イギリスが露骨に内政干渉を はじめ、挑発を繰り返した。

これに対し、両国が連合してイギリスに宣戦布告した。

当時のイギリスは「7つの海を支配する大英帝国」(*2)を自称する世界最強の国家であった。その植民地もケープの他、インド、ビルマ、マライ半島、オーストラリア、カナダ、アイ ルランド、エジプト、スーダンなど、帝国主義諸国中、最大を誇り、イギリスはヴィクトリア女王の下で全盛期を迎えていた。

そんな国に対して、ボーア人の小国が戦いを挑んだのである。

イギリスは当初、ボーア人の頑強な戦闘力に苦しんだが、本国からの増援で巻き返しをはかり、翌年にはオレンジ自由国の首都ブルームフォンテインとトランスヴァール共和国の首都プレトリアを陥落させ、両国を併合した。

だが、ボーア人たちはゲリラとなって徹底抗戦をはじめた。これに対し、イギリスはゲリラの補給を断つため、農場を焼却して回る焦土戦術を行った。

しかし、ボーア人の抗戦は止まず、イギリス側の降伏勧告に対し一斉攻撃で応えた。

翌1902年、ようやく本格的な和平交渉が両者の間ではじまった。

死傷者9万人を出して苦戦していたイギリスは、当然、譲歩を強いられた。

トランスヴァール共和国とオレンジ自由国は、植民地となったものの、ボーア人は大英帝国の宗主権下で、数年後の内政自治権(*3)を獲得するに至った。

近代の国際政治では、戦って血を流した者のみが、その戦いの後に自らの権利を主張できると考えられた。

カイザー・ラインハルトは、イゼルローンの共和主義者たちが戦い抜いて自分のもとへたどり着けたなら、その勇気を認めて対等な立場で交渉してもよいと主張した。

このような考え方は、ヨーロッパ的な政治力学では至極、常識的なことである。

たとえば、戦前のナチス占領下のヨーロッパ各国では、レジスタンス運動が盛んに行われた。しかも、ナチスドイツの敗戦が濃くなり、もうすぐ連合軍に解放されると分かっていても、彼らはあくまでレジスタンスを徹底した。

なぜなら、祖国愛の問題以上に「我かく戦えり」という事実・実績を残し、それを国際社会に対してアピールしなければ、解放したのがアメリカにせよソ連にせよ、戦後に連合国から交渉の相手として認めてもらえなかったからである。

それが国際政治であり、パワーポリティクスの常識であった。

(*1) 「オーベルシュタインの草刈り」

(*2)実は人類史上、最大の領土を獲得したのが、この大英帝国である。

(*3) これが今日の「南アフリカ共和国」の起源。1904年にトランスヴァールとオレンジに、ケープとナタールが合わさって南アフリカ連邦が成立。選挙でボーア軍将軍だ ったルイ・ボタが初代首相となり、ボーア系政府が誕生した。

「銀英伝」には歴史が満ちている――気ままに歴史ネタ探求

歴史ネタ編目次 http://anime-gineiden.com/page-890

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