【銀英伝】カイザー・ラインハルト崩御【歴史ネタ】
ユリアンらイゼルローン共和政府幹部たちは、ラインハルトと共にハイネセンへと降り立った。だが、ラインハルトを狙って拘留中のルビンスキーが捨て身の爆弾テロ(*1)を行う。ラインハルトは助かったが、ハイネセン市街は30%が消失してしまう。
宇宙暦801年、新帝国暦3年7月、一行はフェザーンに到着した。
ラインハルトの病状は悪化の一途をたどり、帝国軍諸将はヴェルゼーデ仮皇宮に集まる。一方、オーベルシュタインによっておびき寄せられた地球教徒最後の残党もまた、カイザー暗殺を狙って仮皇宮内に侵入した。
仮皇宮で銃撃戦となり、首魁のド・ヴィリエは、ヤンの復讐を誓うユリアンによって、その命脈を断たれた。また、彼らの爆弾テロにより、オーベルシュタインが負傷し、しばらくして死去した。これに関しては「謎」が多く、以下の記事でも考察している。
宇宙暦801年、新帝国暦3年7月26日、人類史上最大の覇者であるラインハルトは、ついにその生涯を終えた。
彼は死の間際にこう言い残した。
「~もしアレクサンデル・ジークフリードがその力量をもたぬなら、ローエングラム王朝 など、あえて存続させる必要はない。すべてあなたの思う通りにやってくれれば、それ以上、望むことはない・・・」(OVA最終話)
このラインハルトが最後の時にカイザーリン・ヒルダに語った言葉は、「歴史」というよりは『三国志』(*2)の劉備のセリフを思い起こさせてくれる。
呉の軍勢に敗北して白帝城(あらため永安宮と呼ぶ)に逃れた蜀帝玄徳は、危篤状態に陥り、丞相孔明を呼んだ。
彼のもとに孔明をはじめ諸臣が詰める。玄徳は言った。
「~ただ太子劉禅は、まだ幼年なので、将来は分からない。もし劉禅がよく帝たるの天質をそなえているものならば、御身が補佐してくれればまことに歓ばしい。しかし、彼不才にして、帝王の器でない時は、丞相、君みずから蜀の帝となって、万民を治めよ・・・」
(講談社 吉川英治歴史時代文庫『三国志(七)』より)
蜀の章武三年(西暦223年)4月24日、こうして『三国志』の英雄である蜀帝玄徳は永安宮にて崩御した。

さて、後を継いだ劉禅は暗愚であった。
孔明は公平無私、信賞必罰の政治を行って蜀を治めたものの、234年に陣没する。
その後、蜀は30年もちこたえたが、結局、魏に滅ぼされてしまう。
だが、その魏もまた司馬炎に帝位を算奪されて「晋」となり、この晋が中国を統一したが、それも一時的なことでしかなく、天下は再び国家の乱立を迎えることになる。
どうだろう、かの劉備の最後の言葉は、ラインハルトの言葉を思い起こさせないか。
しかも、私があえて最後に『三国志』の例を持ち出したのは、国家の興亡を壮大なスケールで描くという点において、すでに散々指摘されてきたことだが、この『銀英伝』の物語と極めて似ていると思われるからである。
両者に共通しているのは、歴史(一方は史実に則し、もう一方はフィクションであるという違いはあるにせよ)を通して人間の営みの普遍性を描いている点だ。
人間は万物の霊長として、自らの歴史をつくり、その歴史を意識する生き物だ。
われわれは、人間の絶えまない営みが紡ぎ出す「歴史」というものを観るとき、そこに人間という存在の神秘性やはかなさを垣間見ることができる。
われわれは「歴史」と称する、宇宙の時間からすれば、一瞬の瞬きでしかない人類の栄枯盛衰に、哀しさ、わびしさのような不思議な感慨を抱き、遥かな高みにある創造者の意志に思いを馳せずにはいられないのである。
われわれは、歴史という森羅万象の表層の移り変わりの向こうに、永遠なるものの存在に恋い焦がれて苦悩する自らのはかない姿を透視しているのかもしれない。
ミクロ的には人の一生、マクロ的には人類の歴史、そういった物質次元の出来事はすべて「神のたわむれであり、神の見る一瞬のはかない夢」であるとする哲学(*3)がある。
人は不滅の存在から火花のように生じ、再びその存在に回帰して行くという。
歴史を学ぶということも、そういった時空を鳥瞰した超越者の視点を獲得することに他ならないのかもしれない。
いずれにせよ、この『銀英伝』の物語は、豊富な史実に裏打ちされた、従来とは違ったスペース・オペラということで、文字通り現代小説史に残る傑作であると思う。
また、日本最長編となったOVAシリーズも、原作小説の持ち味を生かして、壮大なスケールで宇宙を駆け巡る英雄たちの人間像を見事にビジュアル化してみせたという点において、アニメ史上の記念碑的な作品であることは疑いないと思う。
後世の歴史家たちも、この時代に、こんなに素晴らしい作品とそれを取り巻く大勢のファンたちが存在していたことについて、さぞかしや興味深く考えるに違いない。
(*1)「ルビンスキーの火まつり」
(*2)西晋の陳寿の手による正史。魏書30卷、蜀書15卷、呉書10巻より成る。陳寿は魏を正統とした史観をもつが、蜀に対しても公平であるという。この魏書の中に邪馬台国を記述した「東夷伝倭人の条」がある。また一般に三国志ものの作品は、元末の羅貫中の作品で「中国四大奇書」のひとつである「三国志演義」を下敷きにしている。陳寿の正史に3割ほどの脚色を加えてあるという。おなじみ、劉備·閱羽·張飛·諸葛亮などが縦横無尽に活躍する英雄の物語として、今日でも圧倒的な人気を誇っている。
(*3) インドのヴェーダ哲学。
「銀英伝」には歴史が満ちている――気ままに歴史ネタ探求
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