ラインハルトのモデルと言われる歴史上の三人

作者の田中芳樹氏は、ラインハルトのモデルとなった歴史上の人物として、
「アレキサンダー大王とかナポレオンとか、スウェーデンのカール12世とか… 」
とおっしゃっている (「銀河英雄伝説」読本)。
これらの人物が、ラインハルト・フォン・ローエングラムという人物を創造するにあたって参考にされているという。
以下、この歴史上の三人がどのような生涯を送ったか、簡単にまとめてみよう。
アレクサンドロス大王のケース
若くして史上空前の大帝国を築き上げ、若干32歳で逝った希代の英雄だ。
前336年、父王亡き後、若干20歳でギリシアのマケドニア王国の王位を継ぐ。
前334年、ギリシア連合軍を率いて東方遠征に出発。各地でアケメネス朝ペルシアのダレイオス王の軍勢を撃ち破り、エジプトを解放してアレクサンドリア市の建設に着手。
その後、再びペルシアに侵攻し、王都ペルセポリスを焼き払い、ついにギリシアの宿敵であったアケメネス朝を滅ぼした。
だが、彼は被征服者に寛容な政策を行い、新軍団を編成してさらに東方へと進軍を開始。インドと戦い、インダス川流域まで征服して、ギリシアとオリエントを融合したアレクサンドロス帝国を築き上げた。
しかし、彼が急逝した後、帝国は瓦解し、三つに分裂してしまう。
彼によって、人類は新たな時代「へレニズム」を迎えることになったといわれている。
ナポレオン・ボナパルトのケース
コルシカ島の貧乏貴族の出身で、士官学校で学んだ後、少尉として砲兵隊に配属。
1789年のフランス革命勃発後は、革命軍に加わり、武勲を立て始める。
だが、革命進行中に独裁権を握ったロベスピエールが逮捕された時、同派とみなされたナポレオンも一時、投獄されてしまう。
しかし、95年、王党派の蜂起を鎮圧した功績で、軍最高司令官に就任する。
翌年、イタリア遠征軍司令官として、各地で転戦を重ね、軍事的天才ぶりを発揮。
99年、エジプト遠征中に帰国してクーデターを行い、総裁政府を打倒。第一執政官となり、 事実上の独裁権を掌握するに至った。
1804年、終身執政官となっていたナポレオンは、国民投票でついに皇帝に選出される。
翌年、第3回対仏大問盟が結成されると、大陸の征覇へと乗り出し、ロシア・オーストリア・プロイセンの軍勢を次々と撃ち破り、ヨーロッパの大半を支配下におさめた。
だが12年、大陸封鎖令を破ったロシアに向かった遠征軍が「焦土戦術」にあい大敗を喫してしまう。これが転機となり、服属させられていた周辺諸国が立ち上がって、ついにナポレオンは降伏。エルバ島に隠退させられた。
翌15年、ウイーン会議が紛糾しているのを知ったナポレオンは島を脱出し、パリに入場。再び皇帝となる。
しかし、ワーテルローの戦いで敗北し、 セントへレナ島に流され、そこで生涯を閉じた。
カール12世のケース
1697年、父王亡き後、若干「15歳」でスウェーデン国王に就任する。
この年少王を侮ってロシア・ デンマーク・ザクセン選帝侯がスウェーデン割譲を画策。スウェーデンはこの3国から攻撃され、ここに北方戦争 (1700~21)が開始された。
だが、カール12世は自ら軍を率いてこの3国と次々と交戦し、撃ち破っていく。
しかし、その後、負け知らずの戦いをすすめてきた彼も、1709年、ピョートル大帝の焦土戦術にあい、敗北。オスマン帝国に逃れる。
その後、亡命先のオスマン帝国を使嗾してロシアと開戦させたが、不信を買ってしまい、帰国する。再び周辺国と戦い続けるが、18年、敵弾に倒れた。これと同時に、スウェーデンはバルト海の覇権を失い、強国の地位から転落してしまう。
以上であるが、
この三人の英雄に共通するのは、生涯、戦い抜いた歴史ではないだろうか。
最近のコメント