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オーベルシュタィンの考える「公」とヤンの考える「公」の違い

帝国キャラ編

このようなオーベルシュタィンの考えは「君主は国家第一の下僕」としたフリードリヒ大王の啓蒙専制主義に近いと思われる。(*)

実際、彼は自分の果たすべき役割を真に心得ていた。

彼はラインハルトと出会った時に、次のように言った。

「銀河帝国、いやゴールデンバウム王朝は滅びるべきです。可能であれば私自身の手で滅 はしてやりたい。ですが、私にはその力量がありません。私にできることは新たな覇者の登場に協力すること、ただそれだけです」(OVA8話)

彼がこのように考えていたということは、ラインハルト同様、彼もまた不公正なゴールデンバウム体制に対して内心で強く憤っていたということだ。

ラインハルトと違うのは、自身が体制打倒の先頭に立つか、あくまで補佐役に徹するか、という点である。

「ローエングラム王朝と皇帝ラインハルトとは、オーベルシュタインにとって終生を賭した作品であった」(第6巻)

その実現に彼は人生のすべてを捧げた。

ただし、「オーベルシュタインから見れば、歴史上最大の覇王であるラインハルト・フォ ン・ローエングラムでさえ、完全に理想的な君主とは称しがたかったらしい」(第10巻)ことから、彼はラインハルトの中にも忌むべき欠点を見出していたようだ。

そして、どうやらそれこそが、親友や姉に対するラインハルトの人間としての親愛の情であったようだ。それを捨て切れぬ脆弱さをオーベルシュタインは批判的に見ていたようだ。

彼にしてみれば、皇帝は完璧な公人でなくてはならず、実際、それを要求する側の自分は完全に公人たることを実践していた。

もっとも、オーベルシュタインの「公」の概念は、「帝国人民の最大多数の最大幸福」という点に立脚しており、ヤンのように時代を超越した人類全体の普遍的利益に思いを馳せているわけではない。なればこそヤンは、民主共和制を支持するのであり、公益の実現をあくまで名君による「徳治」に頼るオーベルシュタインとは一線を画しているのだ。

だいたい、「啓蒙専制政治」や「名君による徳治」を新たなるローエングラム王朝の拠って立つ礎としたところで、本来的にこのような政治体制そのものが極めて危ういバランスの上に立脚するものである。

なぜなら、「絶対権力は必ず腐敗する」という歴史法則があるからだ。

誰からも監視されず、誰からも批判されず、誰からも制限されない権力ほど腐り易いものはない。

したがって、真に歴史の検証に耐えうるのは、民主共和制によって人民の公益をはかるべきだと考えるヤンの思想ではないだろうか。

かつてオーベルシュタインは、イゼルローン軍を率いるヤンを亡きものにするため「和平提案を装って、おびき出し謀殺する」ことをラインハルトに提案しているが、これなどは彼がヤンをルビンスキーや地球教などと同列視していたことを意味する。

彼にとっては、民主共和思想も、新帝国から排除すべき有害物の一種に過ぎなかったのだ。 もちろん、オーベルシュタインの生まれ育った社会自体が、すでに共和思想が根絶されて久しい時代にあったので、ヤンと単純に比較するのはいささか酷かもしれない。

(*)1712~86年。プロイセンの啓蒙専制君主。富国強兵に尽くし、言論の自由も大幅に許した。王権神授説に反対して、啓蒙思想家のヴォルテールらと交際し、『反マキャベリ論』などを記した。対外的には、オーストリアとの7年戦争に撃ち勝ち、ポーランド領土を奪ってプロイセンを欧州の強国に育て上げた。近代ドイツの礎を築き上げた人物として人気が高い。

ウィキペディア「フリードリヒ2世 (プロイセン王)」

ラインハルトと帝国軍の諸将たち――名提督列伝

帝国キャラ編目次 http://anime-gineiden.com/page-63

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