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キャラクター論序文 『銀英伝』はパーソナリティーの万華鏡

エッセイ

一般に『銀河英雄伝説』(以下『銀英伝』と略す)は「スペース・オペラ」と言われている。たしかに、この物語は「宇宙を舞台にした劇」である。だが、宇宙戦争ものに付き物といっていい精緻に描写されたメカ類や、先鋭的な最先端科学知識の援用、SF的設定の奇抜さや独創性、サイボーグや超常能力や異星人といったものは、『銀英伝』にはまったく登場しない。

このようなSFファンが常に垂誕の的にしてきた要素は、一切、排除されているのだ。

しかし、それにも関わらず、『銀英伝」はSFファンをはじめとして今なお圧倒的多数の人々から支持され、その熱狂が終幕を見せる気配はない。

いったい、なぜなのだろうか? 大勢の人々がなぜこんなにも『銀英伝』に魅了され続けるのだろうか?

その答えの前に、そもそも、われわれはなぜ物語を「面白い」と感じるのかを考えてみたい。

面白い作品とそうでないものとの間には、いったいどんな違いがあるのだろうか。

これは創作者と、その受け手である読者にとって普遍的な問いであろう。

おそらく、その第一の理由は「人間が面白いから」ではないかと思う。

われわれが物語を面白いと感じている時、例外なくその物語に親近感を覚えている自分を発見することができる。そして、そんな自分をよく観察してみれば、その親近感が、そこに登場する人間の生きざまに感情移入している時に生じていることが分かるはずだ。

登場人物たちの紡ぎ出す心と思考、そこから生ずる行為・行動、そしてそれがもたらす複雑な因果や相関関係、そして結末・・・そういった人間のありのままの姿を物語の中に見出す時に、われわれは共感や反感を覚え、引きこまれていくのである。

「面白い」とは、このように登場人物に惹かれることをいう。

つまり、人間が面白くない物語に、面白いものはない。

『銀英伝』も「スペース・オペラ」だから面白いのではなく、何よりもその壮大な舞台で繰り広げられる「人間の物語」に魅了されるからこそ、面白いのである。

しかも、登場人物たちが運命に翻弄されればされるほど、また造物主が悪意に満ちていればいるほど(笑)、物語の世界はいっそう軌離と困苦と災難に満ちあふれ、逆に人間の生きる勇気やたくましさ、葛藤、非運や哀しさといったものが際立たされていく。

一般に、設定やストーリーというものは、そういった登場人物たちの人間性をより浮き彫りにするための道具として活用される時に、もっとも意味を成すといっていい。

この「人間を描く」という作業において、比類ない才能と集中力が結実しているからこそ、大勢のファンが『銀英伝』を面白いと感じるのではないだろうか。

実際、『銀英伝』には他の作品に類をみないほど、たくさんのキャラクターが登場する。

しかも、ただ漫然と多人数が物語の中を通り過ぎていくのではなく、その一人一人が実に個性的な存在として描かれているのである。

物語の全体としては、たしかにラインハルトとヤン、そして彼の後継たるユリアンが主人公である。だが、個々の小さな脇役でさえ確固とした物語性をもち、その存在感を主張している。

とくに原作小説では、泡法人物の心理・人格といったものまで実に丹念に描写され、一大長編の構成員として不可分の役割を与えられている。

その様相は、まさに人間の個性の爆発といっていい。そして、その多種多様な登場人物たちを通して、人間のありとあらゆる性質や人格を構成する要素が発現されていく。

勇気、善良、高潔、気高さ、優しさ、誇り高さ、同情心、義務感、使命感、責任感、忍耐心、忠誠心、卑劣、臆病、狡智、欲深さ、嗜虐性、うぬぼれ、差別心、優越感、冷酷、軽蔑、薄情、妄想、邪心、嫉如、憤怒・・・などなど、まさに無い要素はないといってもいいくらいである。

『銀英伝』では、これらが物語の中でさながら万華鏡のように交錯し、その世界の中でひとつの潮流を形作っている。

しかも、重要なのは、この物語には、明かに人間に対する愛情と信頼感が根底にあるということである。いわゆる「悪人」に対しても冷酷に見限った描き方ではない。

「悪人」を、人間の悲哀と愚劣さをあらわす悲喜劇の象徴として描いており、「悪魔」に限りなく近い非人間的な存在として描かれてはいない。

ゆえに、「悪人」は悪であるがゆえ、それに相応しく「正義の味方」によって、最期には観客の敵僚心が最大限に満たされる形で抹殺されねばならない、という二元論をベースにした物語の定石はここにはない。

『銀英伝』の場合、文字通りの絶対悪が登場するのではなく、野心や欲望の奴隷と成り果てた哀れな一個の人間たちが登場し、陰謀と悪事を重ねる。そして、その最期には、どこか物悲しい、哀れな余韻すら残る。何かしら同情を誘うのだ。

このように、単純に善悪の基準で色分けすることのない複雑性をもった存在として登場人物を描くところに、作者の人間に対する強い関心と、根底にある温かい眼差しを見て取ることができる。

そして、こういった人間観に裏打ちされた物語だからこそ、人々の強い共感を呼び、今なお人気が衰えることを知らないのではないだろうか。

さて、このキャラクター編では、そういった「人間」に焦点をあてて論じてみたいと思う。キャラクターを知らずして、この『銀英伝』の面白さも本当には把握できないと思うからだ。

いや、「論じる」などと表現するのは、増長の極みかもしれない。

なにしろ、ただ、単にファンとしての勝手な思い入れを綴っただけなのだから。

そういう意味で、ここではキャラクターに対するひとつの見方を提示しているに過ぎず、読者によっては「その解釈は違うのではないか」とか「その程度の分析ではいささか甘いのではないか」といった感想も持たれることになるかと思う。

あるいは「ちっとも研究になっとらん。お前のようなやつはくたばってしまえ」という反応もあるかもしれない。そんな場合は率直に反省し、お叱りの言葉を甘受したいと思う。

いずれにしても、一ファンとして物語のキャラクターを愛するがゆえに、こだわりを持っているという点は、他のファンの皆さま方と同じということです。

帝国キャラ編 目次 http://anime-gineiden.com/page-63

  • ラインハルトと帝国軍の諸将たち――名提督列伝

同盟キャラ編 目次 http://anime-gineiden.com/page-366

  • ヤン・ウェンリーと同盟軍の仲間たち――イレギュラーズ伝説

その他キャラ編 目次 http://anime-gineiden.com/page-369

  • 陰謀と詐術と悪徳の世界――負と暗黒の人間像
  • 名脇役たちこそ陰の主役なり――キャラクター勝手に分類学

歴史ネタ編 目次 http://anime-gineiden.com/page-890

  • 「銀英伝」には歴史が満ちている――気ままに歴史ネタ探求

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