ヤン・ウェンリー最大の業績とは何か?
ヤンは専制政治の根本的な危うさを歴史的慧眼から知り尽くしていた。なぜなら専制者を律するものは、当人の道徳性だけであるからだ。
この辺りのメカニズムはモンテスキュー(*)の『法の精神』でも語られていることだが、専制政治は本質的に外部から道徳を強制されない。
だから、統治者の良心や見識の不足は、政治の暴走に直結してしまう。

帝国の人民は、名君としてのラインハルトをほとんど偶像視しているが、このように裏を返せば、専制政治とはかくも欠陥のあるシステムなのである。
そして、歴史的にみて、人民が専制者の横暴から常に痛い目にあわされてきたからこそ、 民主主義の思想と原理が生み出されたのだ。
権力の分立、市民の中から執政者を選ぶ選挙制度、言論や出版・表現の自由、権力が市民を害した時の抵抗権、公正な裁判を受ける権利、憲法による権力体制の規定、代議制による立法システム・・・などなど、いずれも専制者との長い闘争の歴史的過程から生み出された人類の知恵である。
ヤンは、このような民主主義の理念や制度を後世に伝えねばならないと考えた。そこで彼が考えたのが、次のような構想であった。
「全宇宙の覇権を皇帝ラインハルトに認める。かわりに、辺境でよい、一惑星に共和主義者の自治を認めさせ、いずれは到来するであろうローエングラム王朝の腐食と崩壊の日に そなえ、そこで汎人類的な民主共和思想の芽を育てる」(第6巻)
そして、ヤンのこのような戦略的構想が初めて言語化されたのは、エル・ファシル革命政府のロムスキーとの対談においてだった。
ヤンは彼に次のように提案する(OVA74話)。
「全宇宙にカイザー・ラインハルトとローエングラム王朝の宗主権を認め、そのもとで一恒星系の内政自主権を確保することです。そこで民主共和政体を存続させ、将来の復活を準備する。その交渉の材料としてのイゼルローン要塞だと考えているのですが」
だが、ロムスキーはこれを理解できるだけの見識が不足していた。
そして、ヤンは、「回廊の戦い」に先だってユリアンに言う。
「イゼルローン要塞は帝国との講和材料として価値がある。だが、カイザー・ラインハルトを交渉のテーブルにつかせるには、戦術レベルで勝利して、われわれに交渉を求める資 格があることを証明してみせねばなるまい」(OVA78話)
「私としては、善政がしかれている間は雌伏しつつ、悪政の時に立つための民主政治の苗 床を確保しておきたいんだ。それを帝国に認めさせるためには、カイザー・ラインハルトと戦って勝たねばならない」(同)
このようにヤンは、ラインハルトに敬意を抱いていたが、しかし後世に民主主義の種子を残すためには、どうしても彼と戦わざるをえなかったのだ。
結局、ヤン・ウェンリーの業績とは何だったのか?
彼は人類全体のために何を成したのだろうか?
客観的にみれば、彼は戦術レベルにおいて比類ない武勲を立てた一軍人であり、自由惑星同盟の滅亡を遅らせた――あるいは逆説的に滅亡を決定づけたともいえる――張本人である。
だが、民主主義の本質を失って久しい同盟は、改革者ラインハルトの登場を前にして遅かれ早かれ滅亡するしかなかった。
ヤンは、この予定調和的に滅びようとしていた民主共和制国家の末期にあって、民主主義そのものまで共倒れすることを防いだ。そして、民主主義のエッセンスを保存して後世に伝えるべく尽力し、その具体的な手段と方向性を示したのだ。
これこそが彼の最大の業績であり、また歴史的な役割ではなかっただろうか。
(*)1689~1755年。フランスの啓蒙思想家。様々な政治政体を比較し、権力の独走を防止して政治的な自由を確保するにはどうしたらよいかを論じた。大著『法の精神』は全欧で好評を博し、後世の民主化に多大な影響を及ぼした。ちなみに、イギリスに滞在している時にフリーメイソンに入会している。
ヤン・ウェンリーと同盟軍の仲間たち――イレギュラーズ伝説
同盟キャラ編目次 http://anime-gineiden.com/page-366
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