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【銀英伝】帝国貴族階級の名前・爵位・軍階級【歴史ネタ】

歴史ネタ編

さて、ルドルフは、彼の眼鏡にかなった者に特権を与え、帝政を支える貴族階級をつくった。その全員が白人で「古ゲルマン風の姓を与えられた」という。

だいたい「ルドルフ・フォン・ゴールデンバウム」という名からして、単純に思い出されるのが、ハプスブルク王朝の始祖「ルドルフ・フォン・ハプスブルク」である。

「大空位時代」(*1)と呼ばれる神聖ローマ帝国の皇帝不在時に、ドイツの各選帝侯たちは、あまり支配力のない、もっとも無難そうな領主をドイツ王(神聖ローマ帝国皇帝)に担ぎ上げた(*2)

こうして、ルドルフは戴冠(*3)。西暦273年のことである。

たしかに「銀河帝国」の皇帝一族や貴族の名称は、このハプスブルク家を含む神聖ローマ帝国の諸公やホーエンツォレルン家、ブラウンシュヴァイク家、リューネブルク家など、ゲルマン系の諸王朝から取ったものが多い。

ところで、「ルドルフは銀河連邦時代から『フォン』のつく名前であることから、はじめから貴族の家系だったのか?」と、多くのファンが疑問に思っている。

そもそも姓の一部としての「フォン」は、元来は貴族の領地名の前に置くものであったという。

とくに東部ドイツの土地貴族であるユンカー出身者に多い称号であり、プロイセン王国の官僚・軍隊の中核を固めた。

そしてドイツ帝国が成立してからは、歴史上にその名をとどろかすようになる。

「鉄血宰相」の異名をもつオットー・フォン・ビスマルク(*4)

参謀本部制を開始した近代ドイツ軍の創始者ヘルムート・フォン・モルトケ

第1次大戦のプランを考えたアルフレッド・フォン・シュリーフェン

「タンネンベルクの戦い」(*5)でロシア軍に圧勝し、後に大統領となったパウル・フォン・ヒンデンブルク、等々。

第2次大戦後の徹底的な土地改革で、土地貴族としてのユンカーは消滅したが、今日でもその家名を受け継ぐ人は少なからずいる。

たとえば、1990年に東西ドイツの歴史的な統合を宣言した当時の大統領のリヒャルト・フォン・ヴァイツゼッカー

したがって、別に貴族でなくとも、ルドルフが当初から「フォン」を名前の一部に持っていたとしても、まったく不思議ではないのだ。

さて、皇帝となったルドルフは、貴族階級をつくった。

だが、爵位はイギリス・フラン ス・ドイツとも、それぞれ独自のスタイルをもつ。銀河帝国の貴族の名前はドイツ式だから爵位もドイツ式だろう、と思いきや、これがイギリス式なのである。これには歴史的にやむをえない事情がある。

第1次大戦の敗北でドイツ帝国やオーストリア・ハンガリー帝国が崩壊した時に、ドイツ皇帝を頂点とする貴族制度は崩壊し、爵位も廃止されたのだ。

また、フランス式の爵位は、フランス革命で廃止され、その後の王政復古の時に復活したが、再び共和制回復とともに貴族制が廃止された。

つまり、今でも貴族制度が存続しているヨーロッパの大国は英国だけ。

だから銀河帝国の爵位もイギリス式にならざるをえないのだろう。

だが、軍の階級はドイツ式である。

というのも「上級大将」という肩書はドイツ軍独特のものだからである。厳密には、始まりはプロイセン陸軍からで、それがソ連や中国でも使われるようになった。

有名どころを挙げれば、機械化されたドイツ機甲部隊を創設し、ポーランド侵攻やフランス侵攻、バルバロッサ作戦(*6)などの指揮を取ったハインツ・グーデリアン上級大将(*7)や、蒋介石の軍事顧問などをしたハンス・フォン・ゼークト上級大将などがいる。

ちなみに、プロイセンとその伝統を受け継ぐドイツ国防軍では、「フォン」の称号をもつユンカー出身の貴族が将校の多くを占めた(もっとも時代とともに平民出身者も増えていく)。

この点でも、将校のほとんどを貴族が占め、下級兵士が平民である銀河帝国軍と極めて似ているのかもしれない。

(*1) 1256~73年。国王の推挙に2派がもめたため。

(*2) これに怒ったのが当時権勢を誇るベーメン王オットカル。だがハプスブルク家と開戦したものの結局、敗退。哀れ広大な所領を接収されてしまい、ハプスブルク家躍進の礎となる。この辺りを後に戯曲にまとめたのが劇作家グリルパルツァーである。

(*3) ルドルフ後、皇帝位は二転三転し、ハプスブルク家も一時は分裂するが、1438年のアルプレヒト2世以降、皇帝位を寡占するようになる。最盛期には政略結婚によって英仏と教皇領を除いた欧州の大半を治めるようになる。

(*4) 1815~98年。プロイセン国王ヴィルへルム1世の信任をえて首相となり、対オーストリア、対フランスと次々と開戦し、勝利をえた。71年にヴィルへルム1世がベルサイユ宮殿で戴冠しドイツ帝国が成立すると、帝国宰相となった。

(*5) 1918年8月にタンネンベルク(現ポーランドの現ステンべルク)でドイツ・ロシア軍が会戦。ドイツ軍の圧勝に終わり、ロシア軍は捕虜9万人を出した。ちなみにロシア側の司令官の1人はパーヴェル・フォン・レンネンカンプ大将というプロイセン系のロシア人。

(*6) 1941年6月に始まったソ連侵攻の大作戰。136個師団・300万のドイツ兵が参加。当初は進撃がうまくいったものの、 後にソ連軍が大反攻に転じた。43年のスターリングラードの攻防戦ではドイツ軍が降伏。さらにクルスクの大戦車戦で東部戦線の主導権はソ連のものになった。ちなみにこの作戦に参加したドイツ側の歩兵連隊長にシュトックハウゼン少将という人物がいる。

(*7) 1888~1954年。第2次大戦中のドイツ軍きっての名将。最後には作戦の遂行をめぐってヒトラーと怒鳴り合いになり解任された。軍人一家で、ポーランド侵攻には息子のハインツ・ギュンターとクルトも参加している。

「銀英伝」には歴史が満ちている――気ままに歴史ネタ探求

歴史ネタ編目次 http://anime-gineiden.com/page-890

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