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【銀英伝】銀河帝国のツァーリズム【歴史ネタ】

歴史ネタ編

では銀河帝国の専制体制そのものは、どこの国に類似しているのだろうか?

これについては、すでに作者である田中芳樹氏が「ロシアをイメージした」という趣旨のことをおっしゃっている。

たしかにイギリスやフランスは、歴史的にみれば封建社会であって、王は半独立国家である諸公たちと誓約している存在に過ぎなかった。

中世末期から近世にかけて、封建領主の勢力が衰え、一方で市民階級の勃興が未成熟であった一時期に、国王の専制体制が確立したことはある。

「絶対王政」(*1)とよばれる時代である。

典型例のルイ14世

しかし、官僚制度や常備軍にみられる中央集権的な政体は長くは続かず、議会に勢力を占めるようになっていった新興のブルジョワや市民と次第に対立するようになり、やがて革命で打倒されてしまう。

またドイツ (神聖ローマ帝国)は、完全な連邦国家というか、国家の集合体のようなもので、皇帝は諸侯に自由に干渉できず、専制的に全領土を支配していたわけではなかった。

三〇戦争(*2)の後は300もの領邦国家に分裂していた。その中のプロイセンやオーストラリアといった一部の国で絶対王政が確立したにすぎない。

だから、ロマノフ王朝ロシア帝国こそが、ゴールデンバウム王朝銀河帝国にもっとも近似した国家体制をもつ国であるといえる。

「銀英伝」によると、ルドルフ大帝の死とともに共和主義者による反乱が続発したが、帝国宰相であり第2代皇帝ジギスムントの父親でもあるノイエ・シュタウフェン公ヨアヒム によって「卵の殻でも踏みつけるように」粉砕されたという。そして「一〇〇億人以上が市民権を剥奪されて農奴階級に落とされた」そうだ(第1巻)。

この「農奴」(*3)というのがひとつのポイントで、西欧では14、5世紀から農奴の解放がすすんでいたのに対し、ロシアでは極端に遅く、皇帝アレクサンドル2世による1861年の農奴解放令を待たねばならなかった。

ロシアというのは、伝統的に東方的な専制国家であった。

そもそも中世にプチャク・ハン国(*4)に侵略されて以来、モンゴル勢力の被朝貢体制から完全に脱するまでに2世紀以上を要した。

モスクワ大公国が諸公国を征服して統一帝国を築き上げたのは、ようやく15世紀後半に入ってからである。

しかも、その後にイヴァン雷帝が大貴族層を抹殺したため、皇帝の専制支配が益々強まった。そして17世紀にイヴァンの家系が途絶え、1613年にミハィル・ロマノフが帝位につく。

ロマノフ王朝のはじまりである。

このロマノフ王朝下で、ようやくロシアは西欧の装いを始めるようになる。

エリツインの尊敬する人であるピョートル大帝(*5)は、西欧視察団の一員として自ら技術や制度を学んだ。とくにプロイセンが台頭してからはドイツ崇拝が強くなり、皇族同士も結び付いた。

だが、皇帝の君主権の制限は、西欧と違って完全に失敗し、また西欧とは逆に農奴制も18世紀を通じて益々、拡大強化された。1905年に国会(ドゥーマ)が開設されたが、あくまで貴族の代表機関であり、実質的な立憲君主体制とはならなかった。

このようなロシアの専制政治体制は、西欧とは区別されて「ツァーリズム」という。

ゴールデンバウム王朝も、このツァーリズム体制であるといえる。

おそらく西欧史的にみれば、銀河帝国は精神的に近世初頭にまで後退した社会といえるのではないかと思う。

(*1)中世から近代にいたる過渡期に西欧で現れた政治形態。例としてはルイ14世下のフランス、フェリペ2世下のスペイン、へンリ8世下のイギリスなどが挙 げられる。国王の権力の強大化の一方、国内市場の統一化により資本主義が促進されたという面もある。

(*2) 1618~48年。ドイツ全域で新旧教徒両派が入り乱れて争った戦争。プロテスタントの民衆がカトリックのべーメン国王就任に抵抗したことから始まったが、後にデンマークやスウェーデンもドイツに侵入し、単なる宗教戦争から覇権争いになった。戦場となったドイツは国土が疲弊し、人口が3、40%減少したといわれる。

(*3)文字通り「奴隷」であり、ロシアでは領主によってトランプの賭けの対象にされたり、家畜のように売買されたりした。

(*4) 1243~1502年。都サライ。モンゴル帝国の開祖チンギス・ハンの孫バトゥがヨーロッパ遠征の帰路にロシアの地に建国。モスクワやキエフも支配した。だが、後にいくつものハン国に分裂し、結局ロシア勢力に滅ぼされた。

(*5) 1672(在82)~1735年。イギリスの造船所では自らハンマーをふるって技術を習得した。軍制や行政を改革し、北方戦争に打ち勝って帝国の強大化に務めた。

「銀英伝」には歴史が満ちている――気ままに歴史ネタ探求

歴史ネタ編目次 http://anime-gineiden.com/page-890

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